「真相解明と正常化が急務」(長周新聞 2016年3月23日)

真相解明と正常化が急務
「改革派」が踏み荒らした梅光
子供たちの為に奮起を

2016年3月23日付

 下関市にある梅光学院で、「改革」を巡って経営陣と教員・父母・同窓生・生徒たちとの間で衝突が起き、本間理事長の退任を求める署名が広がりを見せている。「梅光の未来を考える会」が訴えた署名は1万7000筆に達するなど、下関市内だけでなく広範な人人のなかで関心を呼んでいる。本紙はこの間、地方の私学において何が起きているのか、どうしてそこまで同窓生や教員、父母や子どもたちが怒っているのか、相当数の学校当事者たちに意見を聞き、真相に迫るべく取材を進めてきた。当初は口が重かった教師たちや学院関係者たちも次第に内実を語り始め、おぼろげながらその全貌が見えてきた。100年の歴史を誇る梅光学院で何が起きているのか、どうすることが教育にとって求められているのか、記者座談会を持って論議した。

学問と教育投げ捨てた文科省路線の産物 建設的な力結集することに展望

 この間、「梅光がたいへんだ!」という話は伝わってくるが、具体性に乏しく何が問題になっているのか分かりづらい状況が続いていた。それは、一つには解雇というか辞職に追い込まれた教師たちの口が重く、はっきりとしたことが伝わらなかったからだと思う。苦しくても辛くても話せない抑圧感があったようだ。家族にすら打ち明けられずに悩んでいた教師もいた。
 同窓生の1人は、3月5日の集会に参加して初めて梅光の実態を聞き、ショックと憤りを感じて署名を集めてきたが、詳しいことがわからなかったと話していた。自身はキリスト教信者ではないが、梅光の精神やそこでの出会いで教えられたことは多かったという。梅光を別物にしていくのは許せないと話していた。「尋常ではない事態が起こっているぞ」ということで同窓生を中心に署名は広がった。そのなかで、先生たちが経験したことや学院運営を巡るさまざまな問題が浮き彫りになってきた。
 表面に出てきたのは、教師をパワハラで退職に追いやるという労使関係の問題だった。そのやり方も確かにびっくりするようなもので、ブレインアカデミーによる「研修」は最近流行している首切りビジネスそのものだったが、取材を進めるなかでわかったのは、その労使関係も含めて四年前からやられてきた「改革」に問題の根源があり、教師・生徒・学生たちと学院経営陣との矛盾が激化してきたことだった。
 地方の私学が少子化のもとで生き残るのは大変な困難をともなっている。梅光も同じで、中・高校が男女共学になったときも世間は「生徒確保でたいへんそうだ」と話題にしてきた。東亜大学がアジア圏から留学生ばかり連れてきているのもしかり。学生や生徒の確保が経営にとって生命線になってくることは誰でも分かる。問題は、そこで何がやられたのかだ。梅光の場合統轄本部長の只木徹氏が赴任して次第に実権を握り始め、文科省官僚だった本間政雄氏を理事長に引っ張ってきたところから、それまでと明らかに違いが出てきた。彼らは地元民からすると「よそ者」になるわけだが、外部から乗り込んできた力によって「梅光が別物にされている」という思いをいろんな人が口にしていた。
 今回の解雇騒動で、結果的に中・高校は21人の教師が辞めていった。全教職員の半数以上になるようで、子どもたちに聞くと離任式は涙、涙だったようだ。生生しい大人世界の事情をさらけ出すものになった。ひどい辞めさせ方に対抗する術がなく、教師集団が各個撃破で追い込まれていったのについて、結束してどうにかできなかったのだろうか…という意見もある。ただ、もともと家父長的な色彩が強かったことや、採用の際には「組合をつくらないように」といい渡されるのが常だったこと、昔からの校風というか、とくに波風が立つこともない雰囲気のなかに「改革」勢力が乗り込んできて、何が何だかわからないうちに物いえぬ支配的な力が加わっていたこと、急展開していく事態への戸惑いのようなものを当事者たちからは感じる。「まさかあの梅光で」とみなが語っているのは、まさにそのギャップからだと思う。昔のイメージからは考えられないようなことがやられていたわけだ。
 それで何を「改革」してきたのか。近年は学校の壁に「授業料を○%減らします」とか「○○大学に何人入学しました」とか、携帯会社のPRかと思うほど大きな垂れ幕や宣伝文句を並べてアピールするようになった。テレビCMにも出てくるようになった。学生集めに必死だというのは傍目にもわかる。
 そういう意味で私学の苦境には普遍性があるし、梅光では文科省官僚出身者を理事長に据えて、そのパイプを頼りに補助金を得たいとかさまざまな思惑もあったのだろう。しかし、その結果、文科省路線そのままの「改革」が持ち込まれ、ここまで事態がこじれたというのが実態だ。

「文学は儲からない」 経営の為学生求む転倒

 大学関係者は職業専門学校化してきたことを非常に憂えている。例えば、2015年度から文学部(日本文学科)と国際言語文化学部(英語英文学科、東アジア言語文化学科)が、「文学部人文学科」に統合された。梅光は歴史的に日本文学で知られてきたが、同時に英文学や語学にも力を入れてきた。それが「英語コミュニケーション専攻」「国際ビジネスコミュニケーション専攻」などになり、国際ビジネスコミュニケーション専攻では、ANAと提携してキャビンアテンダントを養成するコースができるなど、「まるでANAのビジネススクールだ」と指摘していた。かろうじて日本文学科を守っているが、宮沢賢治の研究者である中野学院長本人が“文学はもうからない”と公言する始末だ。
 子ども未来学科(子ども学部)の立ち上げにかかわった関係者は、保育士を育てる教師を育成する学科という位置づけで、喧々諤々(がくがく)議論をしながら建設してきたものだったという。ところが、その理念を置き去りにして単純に保育士資格をとる薄っぺらな学科になったことを残念がっていた。資格がとれることを売りにして学生を集め、保育士資格を与えるが、それで現場に出て行った保育士が現場に対応できず、すぐにやめていく。深く学問として幼児教育等を探究することよりも、資格がとれるか否かという方向にねじ曲がってしまった。
 大学改革は全般的に、企業が即戦力になる学生をいかにつくるかを競っている。梅光も同じようにビジネススクール化の道を歩んできた。直接的には文科省出身者がトップに就いたこともあるが、政府が進めている人文系廃止の動きともかかわっている。「大学の知的劣化」はどこでも問題になっている。企業が求める人材を手軽な商品として市場に送り出す職業専門学校と化してしまい、最高学府としての面目を失いつつある。このなかで梅光でも「文学は飯にならない」といって別の道を探し始めていた。人文・社会科学は現在の人間と社会のあり方を相対化したり、批判的に考察する独自の役割を持っている。ところが、目先の経済的利害につながるか否かがすべての判断基準となり、大学教育全体が底の浅いものになっている。これは大学改革全般に普遍的に貫かれている方向だ。
 この間のグローバリズム、市場原理を導入した独立法人化もそうだが、遠い将来を見通した学問としての社会貢献ではなく、目前の産業界の要請や国家、地方行政の下請研究・教育機関として役立つことが第一になり、国家統制が強まってきたのも特徴だ。梅光に限らず全国の大学に文科省出身者や事務次官レースに敗れた者たちがたくさん天下り、同じように「改革」を競っている。
 「改革」の成果として、確かに梅光学院大学の入学者数は増加した。授業料の2割引きとか給付型奨学金の拡充で学生を集めると同時に、外国人留学生も増やしている。来年度に入学する学生は330人といわれるが、そのうち約30人はウガンダ、ミャンマー、ベトナム、台湾、韓国などからの留学生だ。これまでは台湾や韓国など近隣の国からの留学生が多かったが、今度は日本語も英語も話せない学生を連れてくるようだ。
 「改革」の成果が学生数確保だけなら、最終的に東南アジアあたりから連れてくる競争の仲間入りをするだけだ。文科省族の河村建夫がかかわっていた萩国際大学がそうだったが、私学助成金を得るために中国人留学生をたくさん引っ張ってきて、行方不明者が続出して大問題になった例もある。学問探究を投げ出して経営だけが一人歩きすれば、大学の設置目的すら吹っ飛んでしまいかねない。しかし、そうした本末転倒が公立や私学を問わず、全国の大学を舞台にしてくり広げられている。学生が学ぶために大学があるのではなく、経営のために学生を必要とする。少子化のもとで、そうしたパイの奪いあいみたいなことをやっている。
 大学改革の背景は確かにあるが、客観視したときに梅光で起こっている事態を「改革派」「守旧派」などと見なすのは誤っている。流言飛語の類いを排除するべく、金銭にまつわる噂も含めて学院経営陣にも質問をぶつけてきたが、教師の扱いにしてもあまりにも乱暴で、とても「改革」=正義といえる代物とは思えない。もっとはっきりいうと、文科省関係者などのよそ者が入り込んで、食い物にしているというのが実態ではないか。真相解明が求められる点は多多あるし、とくに金銭面についての疑問が多すぎるというのが印象だ。
 梅光は決して財政難の学校ではない。30億円ともいわれる金融資産を有しているし、数年前には理事長をしていた山田石油の会長が六億円ともいわれる寄付をしている。東亜大学のように金銭の工面に苦労している大学に呼ばれたとして、果たして問題視されているよそ者たちは行ってみようと思っただろうか? 裕福な経営だからこそ魅力を感じたのではないか? という疑問がある。

本当に赤字なのか? 豊かな資産を食い物に

 この間の「改革」は財政赤字を錦の御旗にして実行してきた。しかし、本当に赤字なのかだ。本間理事長や只木統轄本部長、樋口学長などの行動を見ていると、今年1月5日の常任理事会で、自分たちの報酬を引き上げる案を出している。それは理事長1300万円、学院長1300万円、学長1200万円、統轄本部長1200万円に引き上げるというものだった。それを見て常任理事が驚いて反対すると、すぐにやめさせる行動に出た。本間理事長の場合、学院にやってくるのは月に1、2回、それも2、3日しか来ないのに1300万円というのは破格の報酬だ。それで、下関に来たときにはグランドホテルの最上階を定宿にしている。とても財政赤字に苦しむ大学トップの姿とは思えない。
 中学校の合唱部が1月の声楽アンサンブルコンテスト県大会で金賞をとり、全国大会に行けるようになったが、学校から「今経営が苦しくて金がないから交通費は出さない」といわれ、仕方なく次点の学校に譲って福島に行けなくなった。中高校で教師たちが大量に首を切られて年収300万円程度の契約社員のような教師を増やしているのともあわせて、「ダブルスタンダードだ」という声は多い。
 この間、学院内部の事情に精通する人人にも取材していったが、みなが丹念に資料を整理しているし、問題点あぶり出しに向けた態勢は整っているように思えた。驚かされたのは、只木氏の出張経費は1人だけで年間400万円という点だ。コーポレートカード(法人カード)にしても月100万円までは自由に使えるというもので、一番使う只木氏がカードを管理しているから、そのほかの人にはチェックしようがない状態になっているという。何に400万円も費やすのか、毎月100万円近くを費やすのかは領収書や明細も含めて重要かと思うが、いったいどんなチェック体制になっているのか、監事は何をやっているのかと、聞いていて疑問に感じた。問題を指摘する監事もいたようだが、逆に首を切られたという話も耳にした。
 物品購入にしても不透明なものが多いといわれている。中・高校の生徒たちが一番問題にしているタブレットも、教職員たちの反対意見を無視して推し進め、300台以上を購入した。毎月の学校負担は110万円に上るようだが、ほとんど使っていない生徒も多い。「大好きな先生たちを辞めさせるのに、なぜこんな物にお金を使うのか」という生徒たちの怒りとなっている。
 そして大きな問題が株式運用だ。表向きは現金預金30億円のうち10億円を運用しているという説明だったが、これももう少し詳しく取材してみると、昨年3月末の段階で、野村證券に5億円、大和証券に5億円(退職給与引当金を入れている)、大和ネクストに5億5000万円と、これだけで15億円を超す金額になっている。さらにこの後「証券は今が底値だから買っておけばもうかる」といって、日興証券の系列に2億円を突っ込んでいるという話で、合計17億円を運用しているようだ。
運用を株式会社クライアント・ポジションというコンサル会社に委託しており、ここにも約300万円支払っているという。株価の下落が止まらないなかで、損失額はふくれ上がる一方だ。裕福な学院の資金に、証券会社などが寄ってたかって群がっているのもわかる。
 「改革」というよりは、こうした学院経営に批判意見を持つ人、抵抗勢力と見なした人を次次に切り捨てていったことに特徴がある。理事、監事などの役員、事務職員を切り、今回は大学や中・高校の教員を大量に解雇した。一方で只木氏は四人も女性秘書を抱えている。
「気に入った秘書の給与を8万円もアップした」とかも噂話ではなく、真相解明してみたらいいと思う。この3月末で、真面目に働いていた経理の女性2人も解雇してアウトソーシングするようだ。25日に開かれる理事会で現監事2人が解任されるという話にもなっている。
 梅光の経営状態を知る人たちは、「赤字、赤字というが、梅光には借金がない。30億円持っていれば、こつこつ地道にやっていけば十分な経営状態だ」と話している。中・高校については少子化の下でここ数年は年間1億円ずつ赤字が出ていたようだが、21人もの教師を解雇しなければならないほど、ましてやつぶさなければならないほどの経営状態ではないという。
 私立中・高校に対しては、学校規模(生徒数)が1~299人には50万円、300~599人には100万円、600人以上には200万円の補助金が出ており、加えて生徒1人当たり(保護者が市内在住に限る)には1万5000円の補助金も出ている。それを合計した額は下関短期大学付属高校では318万5000円、早鞆高校は1256万円、国際高校は527万5000円、梅光高校は537万1710円。さらに国(県)からの助成金も生徒1人当たり34万円ある。市内の私立高校の関係者も「赤字を理由に首切りするのは私学の常套手段だ」と指摘していた。
 現金で30億円も持っている私立学校というのはお金持ちだ。東亜大学などは私学振興財団に毎年2億円ずつ返済している。とても投資に回す貯金などない。梅光はお金を持っているからこそ証券会社も喜んで飛びついているし、そのお金をみんなで食い物にしているのが実態ではないか。駅前のホテルに暮らしている資産運用担当職員についても、どこからそのようなお金が出ているのか真相解明したらいいと思う。自分のカネで単身赴任のホテル暮らしなどするものだろうか。

梅光100年の歴史 評価高い日本文学研究

 一般市民のなかでは「あの梅光で」というショック、驚きが大きい。100年の伝統がある梅光のイメージといえば、地道ではあるが下関の歴史のなかで存在感があり、下関の風格に一つの影響を与えてきた。かつては「上流階級の子どもが行く学校」だった梅光での騒動が、今の下関の疲弊と重なり、商業都市・水産都市として繁栄した下関の衰退の象徴だという論議にもなっている。よそ者に引っかき回されて散散な目にあっている姿も下関の政治経済の状況とそっくりで何ともいえないものがある。
 梅光そのものの歴史を見ると、140年ほど前にヘンリー・スタウト博士夫妻が長崎に英語塾を開設したのが始まりだ。彼が下関に来て一番最初につくったのが下関教会で、そこにいた服部章蔵が梅香崎女学校を長崎につくった。その後、梅香崎女学校と山口の光城女学院を合併して、下関に梅光女学院高等学校・同中学校を設立した。それから100年になるが、明治維新後の女子教育を担ってきた学校だ。伝統的には日本文学研究で知られる、まさに人文系だ。
 元学院長の佐藤泰正氏は夏目漱石の研究者として知られているし、大学内にある郷土文化研究所にはかつて、国分直一という国内屈指の考古学者がいた。綾羅木郷台地遺跡の発掘にかかわっていた国分博士が、ベトナム戦争のさい企業が砂を採取して遺跡を破壊しようとしたとき、現場で体を張ってブルドーザーと対峙し阻止した歴史は、山口県をはじめ全国の考古学研究者のなかで語り草になっている。そして守られてできたのが現在の考古博物館だ。
独自の宗教教育が中心ではあるが、一つの理念を持った純潔な教育をしているというところでの信頼があり、学問的・教育的な内容にしても水準の高さは認められる権威があった。

25日の理事会に注目 子供に責任負う解決を

 こうした歴史や伝統、地域や同窓生とのかかわりを断ち切るから矛盾になる。あと、宗教戦争の色彩もあって、オンヌリ教会で塗り替えようとしているという危惧は同窓生や関係者のなかに強くある。市内の教会を切ってオンヌリ教会を入れ始めたのが1昨年からといわれている。それが佐藤元学長の死で、たがが外れたように加速したようだ。「梅光の歴史の終焉」とみる人もいる。幼稚園長や中・高校の宗教担当など主要ポストにオンヌリ教会の関係者が就いているのも特徴だ。
 労使問題から学校運営、私学の置かれている苦境、さらに宗教上の問題など、さまざまな問題が複雑に絡みあって単純ではない。ただ、「カネがない…」といっている「改革」派が、結構大胆な金遣いであることはわかってきたしそのダブルスタンダードをみなが疑問に感じている。文科省改革路線、英語教育の最先端を梅光でやって、その結果、学校崩壊を引き起こしている。それが「改革」の結果だった。
 学校、教育機関であるなら、子どもたちの教育に責任を負うことが大前提だ。
今回の解雇問題では解雇する側のやり口もひどいが、同時にそれを恐れて逃散するだけでは何も物事は解決しない。今後立て直していくにはどのような力がいるのか、同窓会の援護射撃もあるし、世間の世論も動き始めたなかで、梅光で起きた出来事を一つずつ真相解明も含めて明らかにし、膿をとり除かなければ前に進みようがない。理事長そのほかを解任しただけで何かが解決するわけでもない。どのような大学なり中高校にしていくのか、発展的な力を束ねていくことが事態打開の大きな原動力になると思う。
 25日には理事会・評議委員会が開かれるようだが、そこでどういう結果になるのかが注目されている。評議委員会には地元企業のメンバーもかなり含まれているが、同窓生や地域、保護者、生徒たちの思いに対して、どのような態度をとるのか注目されている。あと、投資信託等に突っ込んでいる17億円の金融資産は、この間の株式市場の落ち込みで相当に目減りしていることは疑いない。この焦げ付きも将来的に誰が責任をとるのかが注目されている。理事も評議委員もみんなが蜘蛛の子散らして逃げていったでは話にならないし、子どもたちに責任を負わなければならない。それこそ学院経営の抜本的な改革が迫られるところへきている。

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/sinsoukaimeitoseijoukagakyuumu.html

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